横浜出身

横浜市立 南高校卒業

1958年 劇団新制作座6期生として入団

1960年 真美保作「馬五郎てん末記 」でデビュー

1961年 歌と踊りで構成された「新制作座フェスティバル」で主演女優となる。

1963年 1月より3ヶ月間 プリオノ文部大臣の招請でインドネシア公演に参加 ジャワ島バリ島など「日本と世界の歌と踊り」団長真山美保 前進座5名を含む。帰国後 報告公演を全国巡演

1964年 フェスティバル「14人の愉快な仲間」でソリストとなる。  真山美保訳「哀れなジャン」「バラ色の人生」を東京産経ホールで歌う この頃より火事のため声を失う

1973年 ブラジル公演に参加 「日本の四季」のうち「雪の曲」は、サンパウロ各紙絶賛をはくす。帰国後日本の各地で帰国報告公演。3年間。

1976年8月劇団を退団

1980年 横浜アナウンス学園の講師となる。

1981年 中島亨に師事 ボイストレーニングを始める

1985年 ~宇井あきらに師事 シャンソンを始め、その後イイノホール、銀座ソミド 曳舟文化センターなどに出演

1995年 真山美保の第一演出助手として新制作座の客員となり、中国公演に演出部員として参加。帰国報告公演に参加

1996年 港南区街の先生「朗読指導」に登録する。「街の先生」オープンスクール開く。

1997年金子みすずの生涯「こだまでせうか」を東京芸術座で公演俳優座出身者と。新作童謡を歌う。

2002年 関内ホールで、フランスの詩人ジョニー・クラウンのポエトリー・コンサート「夜の番人」の、訳詩の朗読。

2003年 真山美保の助手として歌舞伎・新派の舞台に参加

2005年 クリフサイドにて、ソロコンサートを開く

現在

港南区街の先生として、朗読とヴォイストレーニングを指導継続中 港南区8ヶ所 磯子区4ヶ所 緑区1ヶ所 西区1ヶ所 東京渋谷区1ヶ所

私のポリシイ

 

7年間声を失った経験を生かし、人は誰でも語り歌える。音痴は治るを信条にカラオケ教室も主宰しています。表現したい心は、プロもアマも無いと確信しています。溢れくる想いこそが、人間の証だと思い続けています。

クリフサイド・コンサート

荒川の佐吉・歌舞伎座公演

 記念・吉兆にて

島田省吾氏・勘三郎丈を囲む

ブラジル公演・雪の曲

東京會舘・青果賞

片岡仁左衛門丈と

2001年 6月ステンド・グラスの師林満江に師事